無住心言術道場第15回

無住心剣術道場第15回「 宗教二世に対する批判と、現代社会の宗教者の信仰」今回は、恩返しも含めて。無住心剣術の精神で、針屋忠道、難問に突貫します。
 伝統的な宗教は、現在、危機的な状況にありますが。
 キリスト教徒は、新約聖書と旧訳聖書の内容を、そのまま信じれば問題は少ないですが。やはり現代社会との軋轢が生じます。
 仏教の僧侶の血筋の子孫は、日本の仏教は、鎌倉仏教の先駆けとなる法然上人の浄土宗の宗教改革が普及して以降、僧侶の妻帯の問題があります。法然上人自身は、潔癖な僧侶として人生を過ごしましたが。
 ですが、キリスト教徒も現在は悲惨な状況です。
 カトリックは、キリスト教徒の宗教人口維持のために、信徒に結婚を勧めますが。
 プロテスタントは、大問題を抱えています。イギリス王ヘンリ八世が離婚をした故事から、プロテスタントは、離婚する事が、プロテスタント的でありカトリック的では無い、と考える思考法の問題です。社会学では、クイア家族と呼ばれる。通常の結婚とは別の「新しいように見えて、社会の紐帯を破壊する可能性が疑われる家族構成がクイア家族」です。
 このクイア家族の考え方は、同性愛や、性的少数者だけでなく、通常の家族の構成以外や、離婚を行い別の家族を形成する場合も、広義の意味でクイア家族と社会学では定義します。
 この問題は、今回は詳しく論じませんが。プロテスタントでも離婚は、できるだけしない方が良いと、私は考えます。
 では、仏教の僧侶の妻帯の問題です。
 この問題自体は、基本的には日本仏教では明治維新後には、僧侶の妻帯が許されています。
 ですが、ここで問題となるのは、浄土宗や、浄土真宗のように、僧侶の妻帯に不都合が無い宗派に対して、僧侶の妻帯が明治維新後に行われるようになった日本仏教の他の宗派の、宗教二世の方々のメンタル面の問題です。
 自分の生い立ちに、引け目を感じる仏教の僧侶の宗教二世の方々も多いと考えられます。
 戒律を破った、僧侶の子供であるとのネガティブな認識が、仏教の僧侶の宗教二世の方々の場合、存在する可能性が考えられます。
 ですが、結論から先に書いた場合。仏教の僧侶が、妻帯し、子供を持った場合。生まれた子供が僧侶になる場合。仏教の僧侶としては、現在の世界中の伝統的な宗教的価値感が、一見科学的で新しいと認識され、その実、疑似科学的な、考え方に破壊されていく中で、仏法を守っていく次世代を生んで育てる意味があります。。
 仏法を守る意味が、仏教の僧侶の妻帯には前向きな考え方では存在します。同様に仏教の僧侶の親から、娘が生まれた場合では。その娘が、仏教の僧侶になる子供を生むという考え方も存在します。
 仏教の僧侶から生まれた宗教二世の方々が、罪を背負っているという不健全な考え方を棄却し。
 仏教の僧侶から、仏法を守る、次の世代を生んで育てていく。
 という前向きな考え方が可能です。
 今ほど、伝統的な健全な宗教が、必要とされる時代はありません。
 私は、日本人のキリスト教徒ですが。
 社会学に携わる人間としては、健全な社会の運営には、伝統的な宗教が、キリスト教、仏教、など問わずに必要だと考えます。
 キリスト教は、厳密に解釈を、し過ぎると、狭量な宗教になってしまう場合があります。
 では筆を置きます。


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