無住心言術道場第5回

無住心言術道場第5回のテーマは「中日友好化と、中国人の不満 」です。今回も難問ですが。
 「中日友好化」のために、針谷忠道、今回も頑張ります。
 まず、なぜ、「日中友好化」ではなく、「中日友好化」とタイトルを選んだのか理由を説明しましょう。
 中国の方々は、独自の文化的な習慣として、体面があります。この理由から「中日友好化」としました。
 針屋忠道はスパイ工作で洗脳されたと、日本人が考える必要は在りません。
 では、中国の方々の不満が、なぜ大きいのか。まず、歴史的に現在、中国は、二つの路線が大きくあります。
 1、辛亥革命後の時期に起きた文学革命です。文学革命では、誇り高い中国人の方々が、自身の中華文明を批判する事態になりました。
 2、文学革命以降の時代であっても、中国人の方々が中国文化を、完全に捨て去ることは出来ません。中国文化の伝統を守ろうとする動きも現在まで続いています。
 中国の儒教には、「中庸」の考え方があります。中庸は四書五経の中の四書です。
 現在の中国の方々が、文学革命以降の西洋の考え方と、中国の伝統的な中華文化の、中間的な、「中庸」の視点に立つことが考えられます。
 現在の科学技術の発展は急速です。中国の方々だけで無く、日本でも科学技術の急速な進展に社会が付いていけなくなっています。
 この状態は、近代を牽引した、アメリカやヨーロッパ諸国だけでなく世界中で、起きています。
 ユダヤ・キリスト教徒の日本人である私は、ユダヤ・キリスト教徒は、自分の能力の120%以上が必要とされる場合が在る事を、「力の限り、思いの限り」のユダヤ・キリスト教の教えの中で理解しています。
 この理由から、ユダヤ・キリスト教徒は、両極端に動く傾向があります。
 中国の方々の視点からは、ユダヤ・キリスト教徒の両極端の動きは、理解が難しい面があると考えられます。
 中国の伝統文化では、儒教と道教が両極端の二大宗教となっています。中国の戦国春秋時代に諸子百家が、相次ぐ戦乱の中で、平和を求めて成立しました。
 中国の伝統文化では、中国哲学の儒家が主流です。日本では、中国の漢詩が、日本の和歌よりも平安時代では格式が高かった時代があります。
 現在でも、日本では、漢文が、知識人の素養であるべき状態ですが。実際は、教科書の範囲を越えて、岩波文庫や、講談社学術文庫、ちくま学芸文庫などで出版されている中国の漢文学の古典を、ハードカバーの書籍も含めて読む人は少ない現状です。
 中国の歴史の中で、辛亥革命以降の、文学革命の発生は、複数の要因が在りますが。中国の諸子百家は、戦国春秋時代に成立した時点で、儒家、道家、墨家、法家、兵家などが、高い完成度を持っていました。
 そのため諸子百家は、訓詁学の様に、注釈を、後生の世代では行う事が歴史上では主流です。それでも、儒家は、歴史上では、陸象山、朱熹、王守仁の様に、日本の江戸時代以降にも大きな影響を与えた、大儒を輩出しました。
 ですが、中国の歴史では、社会に不安定をもたらす可能性がある科学の技術よりも、道徳と社会の安定を重要視する傾向があります。この理由から、辛亥革命以降の世界史の激動期に、文学革命を起こす必然性に、誇り高い中国の方々が迫られたと考えられます。
 ですが、儒家の「中庸」の観点に立脚した場合。科学技術による社会の発展と、伝統的な中国文化は、共に未来に進むことが可能であると考えられます。
 ユダヤ・キリスト教徒の、新約聖書、旧約聖書は、主、イエス・キリスト、聖霊との契約ですが。法家の法と考えては、良くないと考えられます。法家の法は人間が作り出した法律ですが。
 ユダヤ・キリスト教徒の新約聖書、旧約聖書の契約は、儒家の「天」に仕える「礼」の概念に近いと考えられます。ユダヤ・キリスト教徒の新約聖書、旧約聖書の契約は、日本語でも法家の法と翻訳されていますが、実際は、儒家の「天」に仕える「礼」が漢字では一番近いと考えられます。
 最近は、昔ほど厳しくないですが、ユダヤ・キリスト教徒には異端の問題があります。 アメリカやヨーロッパなどのユダヤ・キリスト教徒から、中国の儒家を見た場合、異端と誤解される可能性があります。
 ユダヤ・キリスト教徒の新訳聖書、旧約聖書の契約の考え方が、中国の儒家の「天」に仕える「礼」の概念に近いが故に、異端との認識が発生する危険な状態の可能性です。
 ユダヤ・キリスト教徒である、日本人の私の視点から見た場合、古代の世界では、旧約聖書の創世記の記述のように、「主」の知識が、一般的に在った可能性が考えられます。
 中国の方々の不満は、中国の文化の考え方が、世界の人達に理解されていない状態に在ると考えられます。
 中国、アメリカやヨーロッパ諸国だけでなく、日本も含めて世界全ての国々の異なる文化が、経済的な貿易も含めて交流する場合。異なる文化的な背景に基づく、誤解が生じる危険性が考えられます。
 基本的には、外国人だから、仕方が無いと、考える場合が、多いはずです。
 現在の情報革命以降の時代では、インターネットで、世界中が結びつく時代に入っています。
 異なる文化的な背景を持つ世界中の国々が、異なる考え方を持った文化と交流する際に、忍耐をしている部分が大きいと思います。
 ですが、忍耐をしていると、不満が膨れ上がって行くと考えられます。
 その結果、文化的な違いから衝突が発生する危険性が考えられます。
 異なる文化と、交流をしていく目的を達成するためには、異なる文化を、そのまま受け入れることは、自身の所属する文化に基づく文化的な背景から難しい場合が在ります。
 世界各国の人達は、自身が所属する各国の文化に基づき、異なる文化を、自身の文化と比較して、忍耐するのではなく、理解することが必要だと考えられます。
 この理由からは、人文科学の役割は、重要だと考えられます。
 中国と日本の「中日友好化」を考えて実行するには。中国の文化を日本人は理解していく考え方が、必要だと考えられます。
 中国文化の儒家の中庸の考え方は、現在の次世代コンピュータである量子コンピュータの計算方法の量子ビットの考え方と合致します。量子ビットは1と0の中間です。
 1と0のノイマン型のアーキテクチャの考え方は、今後も重要です。
 中国の文化は、人類の発展に大きな良い働きを成していくと考えられます。
 
 
 
 


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